ガイドラインによって原状回復のための修繕費用はどちらの負担になるのかについては、「借主の故意・過失など善管注意義務に反するものによって生じたものは借主が、そうでない部分については貸主が」という指針が与えられました。
では、借主に責任があればそれに関する額を全て払わなければならないか。
というとそうとも限りません。
例えば、タバコを落としてカーペットを一部焦がした場合にはそのカーペットの修繕責任があるということになりますが、一方で5年くらい住んでいたとすれば仮にタバコを落としていなかったとしても不動産業者の側が新規借主を募るためにカーペットを修繕・若しくは張り直すのが普通です。この場合に賃借人がタバコを落としたということだけでカーペットの修繕費用をすべて負担し、不動産業者はタバコを落としてくれたというだけでカーペットの入れ替えについて全く支払わなくていいとなるとそれも不公平です。このような場合には賃借人に一定の支払義務はあるでしょうが、カーペットの入れ替えの全額を負担させるのは適当でないとなります。
また、例えば畳を一枚焦がしたから部屋の全面リフォームをした場合に、その全面リフォーム代を支払うなんてことが認められないのも当然です。
修繕する物に関しては上の通りですが、では修繕している間、時間の問題はどうなるでしょうか。
例えば、残念ながら賃借人が望ましい使い方をしていなかったために賃貸人は原状回復のための工事をしなければならなくなってしまいました場合などを想定してみましょう。
その工事期間中、当然ながら賃貸人はその物件を新しい人に貸すことができなくなります。これはもちろん賃貸人にとっては損失であり、それは借主側の責任から生じたものということで工事期間の使用料相当についても敷金などから差し引かれることになります。
ただし、ここも曲者で仲介業者が意図的に工事を遅らせて、長期間に渡って「使用不能だった」事を理由に余分に請求してくることもあります。貸主側からすると原状回復以外にもリニューアルをしたいわけですが、その期間は貸せないのでその間ずっと原状回復の工事をしていることにして、その期間の保存費用などは前の借主の敷金から引いてしまえと考えているのです。
もちろん、このあたりの都合は貸主側の都合であり、本来ならば認められるはずもありませんが、チェックしていないと気付かないまま取られてしまっていることも少なくありません。
壊したりしたからには一定額の負担を負うべきは当然ですが、だからといってそれを理由に余分に取られたのではたまったものではありません。工事が合理的なものであるかはきちんと確認しておきましょう。
国土交通省が通常使用していることで生じると思われる磨耗などについて一定のガイドラインを設けていることは前述の通りです。
ですので、それを参考に照らし合わせれば万事解決…となればいいのですが、実際にはそう簡単なものでもなく、敷金返還などで問題となっている事例の中には契約書の中にこうしたガイドラインなどを無視するような条項が盛り込まれていることが結構あります。
つまり、「カーペットの劣化についてはすべて賃借人負担にする」などの条項が契約の中に入っていると、契約としてそれは守らなければならないのではないか、ということになりそうです。実際、それでしぶしぶ払っている人も多いと聞きます。
一般論としては、普通の人が契約をかわす場合、その人達の意思をできるだけ尊重しようというものとなっています。もちろん奴隷契約のような明らかに問題のあるようなものは禁止されますが、上のガイドラインに反するものは契約として禁止されるほどのものではありません。ですから契約をかわした以上、サインをした以上、判を押した以上は守らなければならない、となるのが原則です。
ただ、実際問題賃貸借契約をとりかわす場合には賃借人が契約の内容の決定に関与するケースはほとんどありませんし、契約書の内容を完全に把握して契約までこぎつけているというケースもさほどありません。こういう場合にも「その人達の意思をできるだけ尊重」と放置しておいたのでは弱い立場の賃借人がますます弱い立場に追い込められてしまいかねません。そもそも、この場合は「その人達」ではなく、「片方」の意思を尊重しているのではないかとなります。
そこで消費者契約法などの法律が制定され、消費者に不利益な契約条項についてはこれを押し通すことはできない、ようになりました。
具体的には以下の法文が問題となってきます。
消費者契約法10条
民法、商法その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。
【民法1条2項】権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行われなければならない。
「カーペットの劣化についてはすべて賃借人負担にする」
上のような条項については、これは消費者契約法10条に照らして無効であるとして、敷金返還請求に途を開いているのです。
ただし、消費者契約法は消費者(ここでの消費者は賃借人)を保護することを目的としているものですから、消費者にとって有利な要素がある場合には不利な条項があったとしてもただちに無効とはならない可能性もあります。
例えば、「このあたりでこの広さなら本来10万円の物件だけど、ここは8万でいいです。ただし、カーペットについては責任をもってください」と最初の段階で賃貸人が考えていたような場合には、賃借人は賃料を2万円得していますので、総合的に判断してカーペット代は全額負担するのも仕方ない、という判断がなされる場合もあります。ペットを飼ってもいいけれど、壁紙などは全部貼りかえることなどの条件についても同様です。
もちろん、このあたりの事情も賃借人が認識していて初めて意味をなすものであり、実際に付近より安い値段であったとしても賃借人がそれを知らなければ不意打ちのような形になり不都合です。このような特別な事情があった場合でも、きちんとそのことを借りている側が認識し、自分の負う負担が普通より大きいと認識し、そのうえで合意しているような形でなければなりません。
ですから結局のところ、特別な事情からガイドラインなどより重い負担を受ける場合には契約書ないしは覚書のような形で存在していなければならず、そうしたものがないのであれば通常通りに返還請求ができる、ということになるでしょう。